金英堂を名乗って67年 感謝ですごした多難な道

金英堂は大内家の屋号の総合的名称で、本屋のときは金英堂書店、機器屋のときは金英堂医科器械店、薬屋のときは金英堂薬局、現在は株式会社大内金英堂と時代によって呼称をかえてきた。

明治35年、二本松出身の先代政治が今の中央通り若生金物店の隣で、ささやかに古本屋を開業し、38年宮城病院山形外科の大関先生奨めで医学専門の和・洋書を取り扱った。明治40年東北帝大が創立、医科大学も大正2年発足した。東京一、東洋一の丸善が帝大の人々を客種として国分町に書籍店を開業したのはこの頃である。将来を考慮した先代は大内了介、恒吾とはかって医学機器販売に転業することにしたが、同業者は柳町のいわしや器械店だけであった。

大正5年、国分町の南条小児科の処に移転。東京薬専を卒業した前会長は12年国分町の丸伊本店の処に金英堂薬局を開設、器械店も併業した。取扱は薬と器械半々であったが、薬は小売りが一番と虎屋横町へ進出を機に器械部と分離し終戦を迎えた。戦後現在地を購い昭和21年9月営業を再開、卸売りに力をそそいだ。

業界の系列化とともに、乱売合戦という異様な世相のときの卸組合の理事長として現会長は業界の調整に努力した。昭和36年7月1日株式会社大内金英堂と法人改組し現会長大内一郎が社長に就任した。

いちぢるしい業界の変化に伴い卸部の廃業を決意し、小売り専門と賃貸ビルを業として新らたに出発した、創業明治36年は現会長の誕生した年でもある。この間お客様、メーカー、問屋、そして多くの数えきれない人々に支えられて今日を迎えることができたことは感銘にたえない次第である。

昭和45年 仙台商工会議所発行 "仙台のしにせ”より

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